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言いたいことも言えないこんな世の中じゃ

言いたいことを言いたいように言うブログです。

デジモンアドベンチャーtri. 第4章観てきた

3月前半は所用で海外に行っておりまして、久しぶりになりました。
カルナイのソロライブとかカルテット9話とか書きたいことは色々あるんですが、とりあえず今一番ホットなやつ。

いいことはほとんど書かないのでご注意ください。

 

観てきました!デジモン
もう4章なんだなぁ。
ざっくりストーリーを説明すると、再びデジタルワールドを訪れた太一たちがパートナーに再会し、メイクーモンと芽衣子を会わせるために少しの旅をして、その裏では黒幕の正体が分かったり大人組の動向が怪しかったり、なんやかんやしているうちにまたメイクーモンが暴走して、みたいな話です(本当にざっくり)
ちゃんとあらすじ書こうとしたんですが、ここで全部説明できちゃうくらい中身が薄いのとめんどくさくなっちゃったので割愛。

 

ちなみに今回はおひとり様で鑑賞してきました。
そのせいで多分ひどい百面相だったと思います。
相変わらずひどかったからw

 

tri.は一応1章からずっと観てるんですが、通して変わらない感想がいくつかあります。
簡単に言うと、
・人間の作画がひどい
・ストーリーがお粗末(ペラッペラ)
・軽々しく進化しすぎ
の3つが一番でしょうか。
順番に参りましょう。

 

人間の作画がひどい件。

デジモンたちの作画は当時とほとんど変わっていないように思うんですが、人間の作画がなぜか本当にひどい。
元はもう20年近く昔の作品だし、現代風の作画になるっていうなら分かるんだけど、根本的にキャラデザインが違うのでまるで別モノですよね。
キャラデザ変わってるだけならまだしも、崩れるし雑だし、劇場の大スクリーンでよく映せたな?って思わざるを得ない。
1章からあれだったから改善が望めないのは分かってるんだけど、やっぱり残念です。

 

ストーリーがお粗末な件。

心情描写がほとんどないので、何がどうしてそうなったのか分からない事象ばっかりです。
単調というか、何といったらいいのか。
今回でいうと、ずっと空によそよそしくてツンツンしてたピヨモンがあるタイミングで心を開くんですが、なぜそうなったのかさっぱりなんですよね。
気持ちに変化が生まれるには何かしらのトリガーが必要だと思うんですけど、そういうのがまるでなくて。
展開上必要だから心を開いたようにしか見えないんです。
無印時代のデジモンは、心の変化、すなわち成長というものを、起承転結分かりやすく丁寧に描いていたと思うんです。
何かが起こって、少し悪い方向に傾いて、気付きがあって、敵を倒して成長する、っていう流れがちゃんとあった。
子ども向けに作っていたからより分かりやすくしていたのかもしれないけど。
でもtri.にはそういう流れがないんですよね。
起のあとにすぐ結がくるみたいな。
承転どうしたー?みたいな。
あってもすごく単調で、いやいや君ら小学生の時のほうが色々考えてたよね?ってつっこみたくなるレベル。
次の項目にもつながるんですが、とにかくストーリーの浅さが何とも言えずに悲しいのです。
今のところでいえば、芽衣子とメイクーモンが中途半端な感じがします。
メイクーモンが物語のキーになっているのは分かっても、メイクーモンはメイ~メイ~って言ってるだけで寂しくなって暴走しちゃうだけの子だし、芽衣子は芽衣子で心情描写が足りないからなんでメイクーモンから逃げたのかって部分が浅すぎてすごいどーでもいいわ~ってなっちゃうし、なんかどういうテンションで彼らを見ていればいいのか私は分からない。
ずっとこの子たちが物語において重要な役割を持ってるんだよ、って匂わせているんだけど、子供だましみたいな演出しかないからなんかもう冷めてきちゃう。
残り2章で劇的な展開が待っているのかも分かりませんけど、今のところ私の中では彼らの立ち位置が迷子のままです。

 

軽々しく進化しすぎな件。

デジモンの醍醐味はやっぱり進化ですよね。
テレビシリーズでは、無印に限らず割とどのシリーズでも進化にはそれなりの重みがありました。
様々な苦悩や葛藤を乗り越えて、パートナーと絆がつながったとき、初めて進化が成立する。
デジモンの進化は子どもたちの成長ともイコールで、だからこそ価値のあるものだったと思うのです。

ですが。

tri.ではびっくりするくらいほいほい究極進化するんですよね!!!

究極進化ってあの2体だけじゃないの?
ウォーグレイモンとかメタルガルルモンになるのにどれだけ苦労したか覚えてる?
オメガモンになるまでにどれだけの苦難があったことか!!!
もうほんとびっくりですよ。
3章まででも、グレイモンとガルルモン以外の子たちが順番に究極進化してきましたが、今回もあります。
キービジュアルの通り、新しく進化したのはバードラモンと、あとエンジェモンもさくっと究極体になりました。
いやなんかね?
どっちもなんかよくわかんないんですよね。何故進化に至ったのか。
まだバードラモンのほうは無理やり理解できないこともなかった。
空の命が危険に晒されていたから、それがトリガーになったのかなとか、分からなくもない。
それでもそこに至るまでの心情描写がなさすぎて軽く見えてしまうんだけど。
でもエンジェモンの究極進化は納得いかないんですよね。
バードラモンが究極進化したのを見て、パタモンがタケルに言うんです。
「ボクも戦えるよ」って。
感染したときの記憶があるからか、タケルは微妙な顔するんですけど、パタモンが「大丈夫だよ」って言うんです(確か)
ここまでは、記憶がないはずなのにパタモンはタケルの気持ちを理解してる、2人はやっぱりパートナーでつながってるんだな、ってちょっと感動すら覚えるシーンだったんですけど、ここから急に一気に究極体まで進化するんですよね。
いやいや、これせいぜい完全体までじゃね?
タケル何もしてないぜ?
って、もうポカーンですよ。
一体何がトリガーになって究極進化したのかよく分からない。
そんで、その流れに乗っかるかのように3章で究極進化したテントモンも再び究極進化するんですよね。
テレビシリーズでは、アグモンやガルルモンでさえ、2回目以降も究極体になるの結構苦労していた記憶があるんですが、うそでしょこんなに簡単なの?ってびっくりするくらい簡単に究極進化していくんです。
完全体になるのですらもあんなに苦労していたというのに。
もうびっくりです。驚きすぎてまばたきができない。
ほんとうにもうね、何から何まで軽いんですよね。
究極体ってもっと大事なものだったんだけどな…。

 

tri.観てると、制作スタッフはテレビシリーズを見てないんじゃないかと疑いたくなるし、何ならテレビシリーズを冒涜されたんじゃないかとさえ思ってしまう瞬間があります。
進化の件が特にそうなんですけど。
なので毎度毎度ひやひやするしがっかりするしむかむかするし、複雑な気持ちになるんですよね。
あと、何というか、構成が劇場版じゃないなぁっていつも思います。
テレビの作り方だよなぁって。
盛り上がりがね、大スクリーン向きじゃないんですよ。
確かに戦闘シーンは派手だから、そういう意味では劇場版なんですけど、そうじゃないところがとてもじゃないけど及第点をあげられなくて。
つまりはストーリーが軽いっていうところに帰結するんですが、劇場6作よりも、テレビ2クール分のほうがいいんじゃないかなぁって。
僕らのウォーゲームと比べると、いや比べるのおこがましいけど、全然足りないです。
何も足りていない。
足りているのはデジモンたちの可愛さだけかな。
テレビアニメもまぁまぁお金かかりますけど、劇場版だって馬鹿にならないくらいのお金をかけて作っているわけじゃないですか。
それだけのお金をかける価値があの劇場アニメにあるのかと。
はっきり言って1800円は払いたくないです。
レディースディとかファーストディの1100円じゃないとなかなか観る気しないです。
じゃあなんで観にいくかって、もうお布施ですよね。
デジモンという作品への愛故に。
懐かしさ故に。
そしてちょっとの期待。毎回。今回こそは面白くなってるんじゃないか、って。
まぁ悉く裏切られるんですけど。

 

あとシリーズ通してずっともやもやしていることがありまして。
ヤマトと空の関係は一体どうなったの?
02の劇場版では間違いなく恋人だったのに、tri.の2人はなんか付き合っている様子がなさそうで。
でも無印の最終回では2人の子供がいたわけで、tri.の世界線は無印とつながっているはずだから、結末はそういうことになるわけじゃないですか(つながっていないなら話は変わってくるんだけど)
その割に、今の2人の関係が謎すぎて全然意味わかんないんですよね。
1章の時はなんか太一がもやってるような様子を見せていたし、確かライブに誘うとか誘わないとかそんな件もあったしでそれっぽい空気を匂わせていたように思うんですが、最近はそんなこともなさそうだし。
でも今回の4章で、タケルが芽衣子気になるみたいな様子を醸したときにヤマトに同意を求めていたから、そういうことなのかな?って思ったけど、空を追いかける時になぜか太一に同行を求めるから「???」ってなって、結局よく分からなくて。
なんかもうヤマト人気キャラだから彼女いるのまずいみたいになってるんだったらほんと今更だよふざけんなよと言ってやりたいけど、そういうわけじゃないだろうし。
はーもやもやする。
もうどんな結末でもいいからこのあたりの答えも終わりを迎えるまでにはっきりしてくれるといいなぁ。

 

さてそんな感じで散々ボロクソ言ってきましたが、いいところもあるんですよ。
個人的には、tri.においてはタケルが一番大人なんじゃないかと感じておりまして、タケルには結構期待しているのです。
なんていうか、タケルはしっかりしてますよね。
誰かに流されたりするんじゃなくて、ちゃんと悩んで、考えて、向き合って、自分なりの答えを出そうと努力している。
太一は悩んでるし考えてるけど、それと同時に逃げ続けているじゃないですか。
だからtri.の太一はかっこよくないし輝いてない。
タケルはわりとさらっとしているように見えて中身は熱い男なんじゃないかなと思います。お兄ちゃんよりいい男になるよ、きっと。
なので残りの2章も、タケルにはとても期待してます。
(それだけにパタモンの究極進化ほんと残念だった)
それから、毎回毎回、アグモンとゴマモンが可愛くてほんと癒し。
他のデジモンたちも可愛いんですけどね、この2匹の可愛さは異常。
あと4章においては、みんながばらばらになってしまった時に、パートナーごとじゃなかったのは結構良かったような気がしました。
太一とガブモン、ヤマトとアグモンていう組み合わせは、やっぱぐっとくるよね。
このときのガブモン死ぬほどかわいかったし、太一のことを語るヤマトも貴重だし。
ただこのばらばら離れ離れ事件をストーリーにほとんど活かせてなかったのにはびっくりしましたけどね。
これ使わない手はないでしょうに!
ミミちゃんとテントモンの組み合わせも絶対なんかあると思ってたのに何にもなかったし。
もったいなすぎて吐きそうでした。
あとは、何といっても、櫻井孝宏さん。
最近櫻井さん何に出ててもいい仕事しすぎててほんと脱帽するんですが、テントモンのあの感じからカブテリモン以降の声になるの、あれほんとずるい。
かっこよすぎて吐きそう。
櫻井さんの振り幅の広さには感服します。本当にこの人すごいんだって思う。
あと今回でいうとハックモンがいい声でしたね。
キャストは武内駿輔さんで、アイマスのプロデューサーの声帯なんですね。
まだお若いのかしら…最近の若手把握できてない…

あんまり4章の感想って意味では書けてないですが、今日はこんなところで。
結局ボロクソ言いながら見続けてるのは、やっぱりデジモンが好きだから。
ちゃんと見届けたいからなんです。
だから5章も6章も文句言いながら観にいきます。期待もします。
キービジュ的には、次はエンジェウーモンとメイクーモンが究極進化でしょうか。
今回公開月が出てなかったのでいつになるのかわかりませんが、ひとまずは楽しみにしております!
次こそ面白くなりますように!

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『虐殺器官』小説と映画を比べてみながら感想【追記】

ようやっと読破しましたー!小説のほうの虐殺器官
映画を見てから小説を読むと、情景が映像として浮かんでくるから理解がしやすいっていう利点がありますよね。
このシーンはあのシーンか、じゃあ背景はこんな感じだな、とか。
特にプラハの情景がイメージできるのは良かったかなぁ。
あのバーの雰囲気は、文字だけだとなかなか難しい気がする。
奈落とか、脳を映像にトレースしていた彼とか。

下記、若干のネタバレを含みつつ感想なのでご注意。

 

 

映画と小説で一番違うのは、パンフレットにも書いてあったけどクラヴィスの母親の存在。
映画では母親の存在はほとんど、というより全く出てこないので、クラヴィスという主人公の立ち位置が大きく違う印象がありました。
映画でのクラヴィスは、どちらかというと視聴者寄りというか、物語の語り部としての役割が大きかった印象で、彼の感情的な部分の描写はあまりなかった気がします。
でも小説におけるクラヴィスは、彼の主観的な意見も多分に含んだうえでの語り部だったので、本当に主人公、という感じがしました。
小説のクラヴィスは、ずっと自分を罰してくれる存在、自分を赦してくれる存在を求めていて、その役割をルツィアに求めたからこそ、あんなにも彼女に執着していたというのが分かるんだけど、映画はその前提が語られていないから、なぜ彼がルツィアに惹かれるのか、なぜ好きになったのかというのが全然分からなかった。
小説でのクラヴィスからルツィアへの想いというのは、恐らく相手が女性だったから恋愛感情に近しいものになっただけで、ルツィアが男性であってもあの関係性や執着というのは存在したんだろうなと思えました。
少し違うかもしれないけど、とある商業BLで、夫婦には、親友同士がたまたな男女だったから結婚しただけで、同性だったらずっと親友のままだったんじゃないか、というようなセリフが出てくるんですけど、クラヴィスとルツィアはそれに近い感じなのかなぁって思います。
あまり彼らの関係に男女というのは意味がないような気がするというか。
まぁでも、クラヴィスの中にいるのが母親だから、同じ女性であるルツィアに色々重ねてしまうとか、そういうのはあるかもしれない。だってクラヴィスが求めているのはやっぱり母親だから。
恋愛にしちゃったら、ルツィアはどうあってもジョン・ポールしか見ていないから、クラヴィスに勝ち目はないよね。というか、クラヴィスは彼女の人生においては村人Aみたいなもので、アフリカで出会った時にようやくクラヴィス・シェパードとして認識してもらえた、くらいな感じだったもんね。
もしあそこでルツィアが死なずに生き残っていて、彼女が望むようにジョン・ポールが裁かれるような結末だったら、その先でクラヴィスとどうにかなる可能性はあるのかもしれないけれど。

話を戻しまして、クラヴィスの母親。
母親の生命維持装置を自分の意志で止めることを選んだクラヴィスは、ずっとずっとそのことを胸につかえさせていて、だからクラヴィスの罰されたい・赦されたいという思いがこの物語の中心にずっとずっと存在しているんですよね。
後半に向かうにつれて、クラヴィスの行動理由というのはすべてそこに帰結しているような感じがありました。

あと、アレックスの存在も。
映画のアレックスと小説のアレックスもまた、与えられた役割が違うキャラクターでした。
映画では割と序盤でさっくり死んでしまっていたから小説読んでびっくりしたんだけど、映画でのアレックスは人によって理解が違うんだろうなと思いました。
私は、アレックスは“虐殺の文法”の存在を匂わせるための役割だったのかなって思っていて、何かしらのきっかけで人を狂わせることができるんだよ、っていうのを伝えていたのかと。
車の中での会話は原作と同じものだったけれど、彼が迎えた結末はまったく違ったし。
彼のセリフ、「地獄はここ(脳)にある」っていうのは、小説ではかなり重要なキーワードになっていたけれど、映画では要素の一つになっていたような気がします。
小説のラストで、まさにクラヴィスが陥ったのはその状態、脳の中にある地獄に叩き落されて二度と出てくることのできない状態になってしまった。
でも映画におけるクラヴィスのラストはそうではない(ように私には見えた)。
そういう意味で、アレックスの役割がちょっと違うんだなって感じました。
まぁでも、2時間足らずの映画に盛り込みすぎると主題が分散してしまうから、映画は映画で全然アリだなって思いましたけどね。

あと映画と小説で違うと感じたといえば、ウィリアムズかなぁ。
上記の母親とアレックスは映画でキャラクターの重要度が下がった2人でしたが、ウィリアムズは逆に上がってた気がする。結構出張ってたよね。
でも彼がいることで物語が重くなりすぎないっていうのはあったと思うし、ずっと明るく存在してくれていた彼がラストでああなったという流れもすごく良かった。
彼の家族が出てこないというのも良かったなぁ。そのおかげで、その他大勢のアメリカ人、という存在へ思いを馳せることができたというか。
ジョン・ポールが守りたかった大勢のアメリカ人=ウィリアムズの妻や子供のような存在は、確かに存在するんだなと思えたというか。

 

その他、ストーリーの流れだったり大筋みたいなところはほとんど映画と小説で同じだったので、そのあたりの違和感はまったくなかったです。
素晴らしい。
映画も小説も同じ世界の中にいるのが良かった。
最近の映像化作品って、基本が「映画と小説は別物」っていうつもりで見ないとしんどいものが多いけれど、虐殺器官に関してはそこまでの乖離はないように感じられました。
まぁ小説から映画に入った人がどういう感想を持つのかは分からないけれども。
でも、なんというか、映画も小説もどっちも見て、虐殺器官という作品が完成するというような、そんな風に私は感じました。

 

そういうわけで、個人的には映画から入って小説にいくほうがいいのかなぁって思いました。
小説のほうがやっぱり絶対的な存在だから、小説から入って映画見ると「違う」って思っちゃう部分とか「足りない」って感じる部分が多いんじゃないかなぁと。
ある意味で映画はすごくフラットに作られている感じがしたんです。
小説はやっぱり伊藤さんのもので、それを他者が見て客観的な理解の上に作り替えるとあの映画になるのかな、と。
監督の主観的な理解というのは、あの映画にはあんまり入れていないんじゃないかなって思えて、だから映画は割と分かりやすかったのかなって。
まぁあくまで想像なので、実際のところは分からないんですけど。

 

それにしても、「屍者の帝国」よりも「虐殺器官」のほうが随分と分かりやすかった気がするなあ。
屍者の帝国」はなんせ複雑で難しくて!
読み返したいんだけどなかなか気力と勢いが足りなくて始まらない(笑)

 

久々にがっつりした感想書いた~~

映画『虐殺器官』まだいくつかの劇場で公開中ですよ。

 

 

追記。
エンディングについて書きそびれた。
映画を見た時、あの終わり方は、ジョン・ポールから彼がやってきたことやその真意の暴露を託されて、クラヴィスは真実を語るためにあの場所にいたのかなと思っていたんだけど、小説を読んでそれは違ったんだと知りました。
ラヴィスは、アメリカという国を地獄に叩き落とすためにあの場所にいたんだね。
ジョン・ポールが守ろうとした世界を叩き落とすために。
映画では、割と前向きというか、明るい未来が見えたように感じたんだけど、小説を読んだら、この世界の直近の行く末は暗いんだと感じて、その先にハーモニーの世界が続いているんだということに何だか納得がいきました。
小説のエンディングのクラヴィスは、何というか、感情がよりフラットになってしまったというか、無になった感じがしたというか。
虚無感?とも違うんだけど…んー…何ていったら良いのか分からないけれど、人間味が薄れたというか。
よりいろいろと考えさせられるような仕様になっているなと思いました。

いずれにしろ興味深い作品であることに変わりはないので、映画の公開中に観にいけなかったらBD買ってもっかい見たいと思います。

カルテット 5話

色々衝撃的なことがあって咀嚼するのに少々時間を要しました、『カルテット』第5話。

 

第1話が世界観、物語の紹介。
第2話が別府さんの話。
第3話がすずめちゃんの話。
第4話が家森さんの話。
ときたら第5話はまきさんだよね!って思ってたら、まぁ確かにまきさんの話ではあったんだけど。

第4話は、まきさんの家で別府さんとまきさんが微妙な雰囲気になったところでピンポーンが鳴って終わったわけですが、誰だよ誰がきたんだよと思っていたら、お義母さん!!
さぞや冷淡な嫁姑関係かと思いきや、表面上とはいえ仲良し設定でびっくり。
そしてカルテットドーナツホールにプロダクション所属の話がきて、三流の仕事をさせられて云々。

5話の見所は間違いなくすずめちゃんとありすちゃんの対決だと思うんですけど、あれはなかなかエグかったなぁ!
そもそも私ありすちゃんみたいな女の子はあまり好きじゃないというか苦手なタイプだと思っていたんですけど、やっぱり苦手だし好きじゃなかった!笑
もうあからさますぎてさすがのまきさんでもおかしいと思うよね!って。
ありすちゃんほんとこわい。あの子、底が知れないしバックボーンが何も見えないからほんとこわい。

そして言わずもがなラスト!まさかのクドカンさん!!
まきさんの夫さんは今のカルテットに出ていないタイプのイケメンがキャスティングされているんじゃないかと勝手に想像してたもので、まさかまさかクドカンさんがくるなんて。
斜め上ってか違う世界線の人がきたなって感じ。
果たしてまきさん夫婦に一体何があったのか、次も気になる。家森さんとありすちゃんもなんかありそうな予告だった?気になる。

 

“好き”がいきすぎて別の感情になるっていうのは恐ろしいことだけど真実なんでしょうね。
ストーカーとか、恨みからの殺人事件とか、全部根底にある気持ちは“好き”だったんだなって思うと、悲しいし寂しい。
好き、好き、大好き、大好き、殺したい。
ありすちゃんの言っていたことは真理なのかもしれない。こわい。

 

はー、早く次も見たいなー!

映画『虐殺器官』 感想のようなもの

本日、待ちに待った虐殺器官を観てきました!

公開予定だった2015年10月から早1年4ヶ月。
ちゃんと劇場で観られる日がきて良かった。
今までの2作がそうだったように、今回も先入観なくフラットな状態で観られるように、原作はもちろん数々のレビューや紹介記事すら読まずに臨みました。
このシリーズは映画を初見にしたかったから。
 
 
虐殺器官を観終えてとりあえずの感想としては、やっぱり3作連続で公開してほしかったなー!ってこと。
やっぱり伊藤さんの話って連続性があって、それぞれ単体としてもちろん成立しているし、物語同士が干渉しているわけではないから、それぞれを楽しむのに影響はないんですけど、こういうところにつながりがあるとか、同じ世界線上なのかもとか、発見をしながら観られるとより楽しかったんだろうなって。
ハーモニーは私にとっては結構分かりづらい作品だったんですが、虐殺器官の世界を知ったうえで、ここからハーモニーにつながるんだと思って観たら、もう少し理解が追いついたのかもしれない。
 
お話としては結構すっきりしてて分かりやすかったです。
とはいえ、どちらかというと玄人向けの作品だなという印象はあって、なんというかテンションが割とフラットなまま進んでいくから、すごい盛り上がりを期待して観る感じではなく、じっくり物語と向き合う感じというか。
ざっくりと物語の大筋を追うと、クラヴィスという主人公がジョン・ポールという対象を追い、その言葉に翻弄され、思考し、自分の意思としてのラストを選ぶ、みたいなお話(観てないとさっぱり分かんないですねw)
ぱっと見の印象はミリタリーだけど、観ているうちに人間の物語だとすぐに分かる。
虐殺器官は、言葉で思考をコントロールする世界でした。
戦闘員が戦場で感情を常にフラットに保っているのも、痛みは分かるけど感じないのも、ジョン・ポールが虐殺を起こしているのも、全部言葉の力。
どれだけテクノロジーが進んでも、人間は言葉に惑わされる。
でもそれこそが人間なんだと言われているような気がしました。
 
シリーズ全部そうなんだけど、一回観ただけだとなかなか理解が追いつかないですね。
次は原作を読んで、その上でもう一回観に行きたい。
今回も原作からの改変やカットされたシーンや要素があるみたいなので、そのあたりも楽しみにして原作を読みたいと思います。
それから据え置いていたハーモニーも読もうかなぁ。
 
あと忘れてはいけない、役者さんの話。
やはり何といっても櫻井孝宏さんですね。
こういう役をやらせると本当に上手いなぁと感動します。
雰囲気としては、サイコパスの槙島さんに似ている感じ。
教授のような、詩人のような、ついいつまでも聞いていたくなるような語り口。
静かな中に、穏やかな中に、どこか普通じゃない雰囲気を醸しながら淡々と罪を犯していくあの感じ。
罪を罪としてとらえながらも悪いとは思っていないというか、悪いと分かっているけれどやめる気はないというか、人間の感情や思考の複雑なところを表現するのが上手くて。
たまらないです。本当に、さすが。
主演の中村さんももちろん、さすがです。
ああいう雰囲気の主人公はピカイチですよね。今の若手にああいうお芝居できる人はそうそういない気がします。
(雰囲気としてはBLのデッドロック(だったかな)の時とすごく似ている気がする)
脇を固める役者さんもベテラン勢が多く、若手で参加しているのも梶くんと石川界人くんと実力のある方々で、安心して観られました。
シリーズ通していい役者しか使ってないからなぁ。さすがだよなぁ。
 
 
私は屍者の帝国がとても好きなんですが、虐殺器官とそういう点でつながりがあるなと感じます。
屍者の帝国は、魂の存在は何かというのを、言語と思考から探そうとする物語でした。
思考は言語に先行する、魂があって思考が生まれてから言語が生まれる、というフライデーの理論をワトソンが証明しようとする物語でした。
虐殺器官は、言葉が思考を制御する物語でした。
正反対のようであり、同じことを言っているようであり、また全然違うことを言っているようであり……複雑。
これは伊藤さんと円城さんの違いなのかもしれませんね。解釈が違うというか、言葉が違うというか。
そういう切り口でそれぞれの作品を観るのも楽しそうな気がします。
 
屍者の帝国もまた読みたくなってきたなー。
虐殺器官を読んだら、ハーモニーと、屍者の帝国と、刊行順に読んでみるのもいいかもしれない。
 

project-itoh.com

 

映画『虐殺器官』絶賛公開中です。

 

カルテット 4話

今期、アニメもドラマもひっくるめて一番楽しみにしているのが「カルテット」です。

まず、主演4人がみんな好きな俳優さんっていう時点でね、もう見ない選択肢はないですよね。

1話、2話、3話と見てきて、今週が第4話。

1話は全体の序章というか、こんな人たちが登場するこんな雰囲気のこんな世界観のお話ですよー、っていう話で、2話から各登場人物を掘り下げていく、流れとしては割と王道なかんじなので分かりやすくてありがたいです。

2話が別府さん、3話がすずめちゃんときたら、そりゃ4話は家森さんですよね。

今私が一番推してる俳優さん、高橋一生さんです。

あらすじとかネタバレを上手く書けないので特に内容については触れませんが、家森さんのバックボーンが分かって納得したら驚いたり楽しい第4話でした。

でもなんせラストシーンがアレだったから、もう次が気になって気になって仕方なくて!!

ここにきてサスペンス要素が強くなってきて急激にぐっと引き込まれる感じで来週が待てなくてつらい(日本語不自由)

真紀さんは何者なの?いったい何をしてきた人なの?夫さんはどうなったの?

気になることづくめで本当に次が待ち遠しい。

 

カルテットのセリフには結構ぐっとくるものが多くて、今までのところで一番心に残っているのは家森さんの「気持ちと言葉は違う」ってやつでした。

確かに、人間って複雑にできているせいか、気持ちのままを言葉にすることって少ないのかもしれないと思って。

特に恋愛に関しては家森さんのおっしゃる通りだなって。

好きな人には会いたいって言うし、会いたい人にはご飯行きませんかって言う。

恋愛ニートな私が言えたことなんて何もないんですけども、恋愛は駆け引きだから、余計にそうなんだろうなって。

あとはやっぱり、「みぞみぞする」。

積極的に使っていきたい。

 

カルテット見てると、やっぱり雪のある風景はいいなーって思います。

一回でいいから、ああいうロッジみたいなところで暮らしてみたいなぁ。

手入れとか大変そうではあるけど。

ノーマン・ザ・スノーマン

昨日、池袋の満天に行ってきました。

見たのは「ノーマン・ザ・スノーマン」というプログラム。

しばらくプラネタリウムって行っていなかったんですが、最近また再熱してコニカミノルタの今やってるプログラムは3つのうち2つ見てまして、これが最後のプログラムです。

最初に見たのは「イルカの星」というヒーリングプログラムで、アロマの香りに包まれながらストーリー仕立てのプログラムを見るという感じのもの。

他のプログラムより若干価格も高くて大人向け感がより強いんですが、ヒーリングというだけあってとにかく眠気誘われまして。

仕事終わりに行ったのも良くなかったんだな。

ナレーションが細谷さんだったので楽しみにしてたんですが、ナレーションパートはすごく少なくて、声目当てでいくとちょっと物足りない感じ。

それで次に見に行ったのは「宇宙に咲く星たちへ」。

完全に高橋一生さん目当てで行ったんですけど、そもそもがSuperflyの楽曲とコラボするというところがメインのプログラムというのもあって、こちらもナレーションパートはそんなになく。

これも声目当てで行くと物足りないかなぁ。

でも楽曲は割と有名な知っている曲ばかりだったので、それはそれとして結構楽しめました。

 

そして満を持して、「ノーマン・ザ・スノーマン」を見てきました。

これは人形アニメの映像作品でして、さっくりストーリーを説明すると、ヨーロッパのとある町に住む少年が、雪だるまのノーマンと一緒に流れ星を見るというお話。

もう少し詳しく話すと、ノーマンというのは少年が作った雪だるまなんですが、動くし喋るしの不思議な雪だるまで、毎年雪が降った時にだけ会える少年の友達なんです。

かつて大規模なしし座流星群の観測されたこの町で、再び流星群を見られる夜が訪れることになり、ノーマンと一緒に流れ星を見たい少年がちょっとした冒険をする、といったお話でした。

ちなみにオタク的な情報を追加すると、このノーマンの声を吉野裕行さん、少年が冒険の途中で出会う不思議な青年の声を梶裕貴さん、ナレーションを野島裕史さんがやっております(池袋だし、声目当てのお客さんがさぞ多かろう)

人形アニメの出来がとても良くて、人形の表情の変化もよく表現されていたし、ノーマンの動きも可愛く、雪の質感もすごくきれいに表現されていてとても良かったです。

お話も、30分くらいかな、短いんですけど、短い中でもしっかりした物語ができていて、起承転結も分かりやすくて見やすかった。とてもほっこりしました。

で、お話だけかなぁと思っていたら、本編が何となく終わったあとに、少年とノーマンの会話という体で少し12星座のお話が入って、きちんとプラネタリウムとしての要素も盛り込まれたプログラムだったので、星を見たい気持ちも満たされまして。

今のコニカミノルタのプログラムの中では一番好きなプログラムでした。

終わったあと、満天ショップを眺めるのが好きなんですけど、うっかり買ってしまいました。

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ノーマンのマスコットぬいぐるみ。

かわいいんだこれが。

1日限定30個の販売だそうなので、欲しい方はお早めに!

 

前々から思ってたけど、こういうところで売ってるぬいぐるみって値段のわりに出来いいですよね。オタク向けグッズ見慣れてるとすごいなって思う。

 

 

そういうわけで、「ノーマン・ザ・スノーマン」とってもいいプログラムでした!

気になった人はぜひ行ってみてください!

planetarium.konicaminolta.jp

5月までやってるみたいです^^

柴君語り【BL語り】

最近のしおさわ的沸騰ワードいえば、誰が何と言おうと柴君。

寝ても覚めても柴君のことばっかり考えて職場でもにやにやが止まらない非常事態。

 

そもそもDAYSご存知ですか?

1990年前後生まれならきっとホイッスル!は知ってると思うんですが、ホイッスル!で青春を過ごした人間にはたまらない作品なんですね。

全体的に雰囲気だったりストーリー展開だったり人間関係だったり似ているところがあって割と作品世界に入りやすいんです。

すごーーーーーく簡単に言ってしまえば、サッカーが下手だった主人公が周囲に刺激されて成長していく物語。

ホイッスル!でいえば、立ち位置的にはつくしが風祭で、風間は水野とシゲを足して2で割った感じ。

あとキャラクターでいえばダイヤのAと似たところがすごくある印象。

水樹は完全に哲さんだし、臼井は声のせいもあるけど御幸とか亮さんとかをミックスした感じ。犬童は稲実っぽい感じ。とか。

 

そんなわけでとにかく作品的にもぎゅんぎゅん刺さってくる感じなんですが、中でも柴君は特にもう美味しくて美味しくて。

そもそもが釣りワードだらけなんですよね、柴君って。

同級生。幼馴染。犬猿。ピッチ上での相性は抜群。ライバル。身長差約20cm、体重差20kg。

さらに個々のキーワードも釣りだらけ。

残念イケメン。黒髪美人。脳みそ筋肉。オフの時はメガネ。金持ち。貧乏。バカ。秀才。とか。

基本的に2人の持っているものが真逆なのでそこも大変おいしいんです。

さらには君下くんの「喜一」呼び。そこ下の名前かーーーーい!!!キーチマンは君下呼びなのに!!!

柴君語り始めると語彙力が下がりまくるので、基本的に「君下くんかわいい」とか「キーチマンさいこうかよ」とか「君下くんがエロいのがいけない」とか「キーチマンいいぞもっとやれ」とかそんなことばっかりになってしまうんですけど、

私は柴君においてエロは必須だと思っております。

なぜか。

君下くんが素直じゃないから。

君下くんは最強のツンデレで言って美人ってタイプではないので(いや私の目には超絶美人に見えるんだけどね?)、どんなに言葉や態度で示されても素直にそうとは思えないタイプだと思うわけです。

だから「好きだ」「愛してる」って10回言われるよりも、1回ヤるほうが君下くんには向いてるんじゃないかなって思うわけです。

そしてさらにキーチマンなので、なんせバカなキーチマンなので、頭より体が先だと思うんです。

多分頭より先に体が反応して、ヤることヤってからようやく理解が追いつくんじゃないかなって。

だから柴君においては両思いになるより前に体の関係はあるんじゃないかなと思うんです。

セフレみたいな関係を続けてから徐々にその居心地の良さにズブズブはまって、気付いた時にはもう離れられなくなって両想いめでたしめでたし、っていうのが理想。

有難いことに、支部にある柴君ってそういうかんじのが多いんですよね!(母数はそんなに多くないんだけど!残念なことに!!)

貞操観念ゆるゆるな柴君も嫌いじゃない。

何の因果かうっかり同居始めちゃう柴君も嫌いじゃない。

結構両片思い気味なんです、柴君って。喜一はバカ故に言葉が足りなくて、君下くんは頭がいい故に言葉が足りない。すれ違って勘違って一周回ってお互いのところに帰ってくるみたいな。そんな感じ。

不意に大事にされて真っ赤になる君下くん最高。

何かの作品でキーチマンが「君下がかわいいのがいけない」って言っているのに激しく同意。

君下くんがエロいのがいけない。全部全部君下くんのせい。

本当になんせ君下くんてばエロいんですよね!!セクシーとかそういうんじゃないけど、色白だったり、筋肉つきにくそうな体つきだから絶対腰細いし、あの切れ長の目もずるい。

柴君を見るときって、なぜか目線が喜一になります。

なんというか、分かるよ君下くんかわいいよな、たまんねぇよな、って同意したくなるというか。

悶々としてくると、もう早く君下くん幸せにしてやれよ喜一頑張れよ…って気持ちになる。

 

なんかまとまらないのでそろそろ終わりますが、最後にこれだけ。

君下くんがエロいのがいけない。

 

そろそろ水臼にも手を出したいと思います。あーDAYS沼。