言いたいことも言えないこんな世の中じゃ

社会人歴●年の声オタ腐女子が言いたいことを言いたいように言うブログです。

さよならの朝に約束の花をかざろう

これについて書かないわけにはいかないとずっと思っているのに、なかなか筆が進まなかったのは、高まる気持ちをどうやって文章にしようか、文章にできるだけの感想が出てくるか、葛藤があったからなのかなぁ。
さよならの朝に約束の花をかざろう』通称さよ朝。
今年一番の映画になりました。残り半年以上ありますが、多分一番のままだと思います。
私にしては珍しく、劇場に3回も足を運びました。
1回目は、公開初週にひとりで。
2回目は、公開1ヶ月後に同僚と。
3回目は、オタクの友人と。
1回目を観に行ったときは、劇場がガラガラで、観る前、岡田さんでこのキャストで何でこんなに空いてるんだろうと首を傾げるばかりでした。
そんなに前評判悪くないはずなのにな、と。
もしかして良くないのかな?なんて少し疑いながら観たのを覚えています。
とんでもない。
すごくすごく良かったです。
久しぶりに、映画を見て涙が溢れ鼻が詰まり、恥ずかしい顔面を晒しながら家路につきました。
胸がいっぱいになって、胸が詰まりすぎて、最初に観た日の日記は全然まとまっていない。
胸がいっぱいすぎてパンフレットを買いそびれたことを激しく後悔していたんですが、大ヒットのおかげで通販してくれて本当に有難かった。
こんなにも自然と2回目を観に行こうと思えたのも久しぶりでした。
2回目は、何かの話の拍子に同僚にさよ朝を激しくオススメし、何なら観に行く?と誘ったところ、ついてきてくれたので観に行った感じでした。
1回目ガラガラだったから今回もそんな感じかななんて思いながら劇場に行ったら、満員御礼で!わー!ってなりました。
2回目のほうが、1回目よりもさらに胸にくるものがありました。
先の展開を知っているからこその感動というか。
涙腺の崩壊が予想外に早い段階で訪れたので、自分でもびっくりしたくらいです。
同僚はオタクじゃない人たちだったのもあってか、号泣、まではいかなかったみたいでしたが、感動はしてくれたみたいでした。
アニメ見慣れてないと、ストーリーの本筋以外にも色々気になるところが出てくるんだなっていうのを、観た後に話してて思いました。なるほどなーって。
3回目は公開もそろそろ終わりかなぁなんてタイミングで、オタクな友人と。
さすがに空くかな?って思ったけれど、まだまだでした。パンパン。
きっと私みたいなリピーターが多かったんでしょう、早い段階からすすり泣きがあちこちで聞こえて、こんなに泣きがたくさん聞こえる映画は珍しいねって友人と話していました。
やっぱり泣き所が分かっているからこそ、余計に泣ける。
いろんなことを考えながら観ることができてしまうが故に、余計に泣ける。
観終わった後の、あの何とも言えない脱力感と、ほかほかするような気持ちと、胸がぎゅっとするような感覚は、なかなか他では感じたことがないです。

 

前置きが長くなりました。
以下、ネタバレを含みつつ感想を書き散らしていきます。
観てない方でネタバレしたくない方はご注意。

 

 

物語のあらすじは、私が説明するより公式見るほうがよっぽど良いのでこちらをどうぞ。

sayoasa.jp

ファンタジーのお話です。
長命の一族、イオルフの民であるマキアと、人間の赤ん坊、エリアルが出会って始まる物語。
ティザーとかを全然見ていなくて、ポスターやバナーなんかのキャッチしか見ていなかったので、観る前は恋愛ものなんだと思っていたんです。
それこそ、メインビジュアルの2人の恋物語なんだろうな、と。
でも、違いました。
さよ朝は愛の物語でした。
親子の愛。友愛。恋愛。
いろんな愛が詰まった、人が人を愛する物語でした。

 

細かくストーリーを追うとキリがないので、印象的だったセリフをいくつかピックアップ。順不同です。

 

大切に思ってくれたり、世話してくれる人を『母さん』て呼ぶんだと思ってたから、あの人を母さんって呼んでたんだ

正しいセリフはちょっと違うかも。ニュアンスで。
なるほどな~~~って、納得したし、考えさせられたセリフでした。
マキアは、エリアルを産んだわけではないから、そういう意味で母ではない。
エリアルは、マキアのことを本来的な意味の母親として呼んでいたわけではなくて、ただただ“そういう人”として『母さん』って呼んでいたんだ、と。
母親という存在の定義ってなんなんだろう、って少し考えてしまいました。
私も、自分の母親のことを疑いもなく『母さん』と呼んでいるけれど、エリアルがマキアを呼ぶ時の『母さん』は意味が違うんだよな、って。
エリアルにとっては、名前を呼ぶのと同じように『母さん』って呼んでたんだな、って。
だからこそ、最後にエリアルが呼んだ『母さん』は、どんな意味だったんだろうね。
母親という存在をが本当はどんなものなのか、きっともうエリアルは分かっていただろうと思うけれど、そんなエリアルがマキアのことを母さんと呼んだ、その心境は、一体どんなだったんだろう。
あのあと、ディタと赤ん坊の姿を見て、エリアルの中のマキアは、一体どんな存在になったんだろう。
マキアは、“母親”になれたのかな。
で、この最後の『母さん』てセリフ、3回目を観たあと、パンフを観たりして、ようやく、「ああ、これはマキアにとってのひとつの失恋なのか」と気付いたんですよね。
マキアはあのとき、母親になることよりも、エリアルにとって大切な存在になりたいって思って、エリアルが呼んでくれるならそれがどんな呼び名でもいい、って言ったわけですよね。
だから、もしそこでエリアルが『マキア』って呼んでくれたら、もしかしたらふたりは恋仲に成り得たのかも知れない。
でも、エリアルはやっぱりマキアのことを『母さん』って呼んだ。
だから、嬉しさと、少しの悲しさと、マキアの気持ちはどっちもだったのかなぁ、って思ったんです。
ずっとなりたかった“母親”になれた。
同時に、恋にはならなかったから。
少し切ない気持ちになります。

 

この子は私のヒビオルです

マキアがエリアルを育てようって決めたときのセリフです。
このセリフは、2回目までは、そこまで考えた言葉ではなかったんだけど、3回目に観た時に、ようやくラストのセリフと結びつけることができて、一層ぐっときたんです。
「私が生きている限り、エリアルのヒビオルは続くから」
出会ったときからマキアの心は変わらないんだなぁ、って。
この2つのセリフを並べて考えて、長老様の言葉を思い出したりして(「愛してはいけないよ」)、こうしてマキアがエリアルを思い続ける限り、ふたりの愛は永遠になるのかなぁなんて考えたりもするわけです。
マキアの生きる理由がエリアルで、マキアの人生そのものがエリアルなんだなって。
ああ、エリアルはなんて幸せなのかなぁ、って思ってしまうんです。
そうやって考えていて、エンディング観ながらまた一泣きしてしまいました。

 

この朝のことは、ヒビオルには書かない

レイリアが娘であるメドメルに向けて叫んだセリフ。
ちゃんと書くともう少し長いセリフだったんですが、ちゃんと覚えてなかったので最後のところだけ。
このセリフを言う前に、空に向かってレイリアが飛ぶ姿が、一番最初のレイリアの姿と重なるじゃないですか。
もうそれだけでぐっときてしまう。
私なら飛べる、って。
そしてこのセリフを娘に向かって叫びながら、レイリアはきっとずっとメドメルのことは忘れないだろうし、メザーテで過ごした日々のことも、きっと忘れられないんだろう、って想像してしまう。
そしてきっとメドメルも、レイリアのことは忘れないんだろうな、って。
顔貌は忘れてしまうかもしれないけれど、その存在は忘れないだろうって思うんです。
マキアとエリアルとは違うけれど、これもひとつの親子の愛の形なのかなぁ、なんて。

 

いつか誰かを愛するこの子を育てていこう

エリアルがディタと赤ん坊を抱きしめながら言うセリフです。
人を愛することをあの人に教えてもらった。そんな俺達が、いつか誰かを愛するこの子を育てていこう、って。
ああ、続いていくんだなぁ、って思ったんです。
マキアの思いは確実にエリアルに届いているんだなぁ、って。
マキアがエリアルを愛し続けたから、エリアルはちゃんと愛を知ることができた。
そんなエリアルだから、ディタも、赤ん坊も、愛して、愛することを伝えていくことができるんだなあ、って。
思い出しただけで泣けてきた。
こんな風にして、人と人はつながっていくのかなぁ。
人類の歴史というのは、そうやって愛とか思いとかがつながってできているものなのかなぁ、なんて。
いろいろと考えてしまうセリフでした。

 

セリフとしてピックアップしたいのはこんなところでしょうか。
あとどうしても語っておきたいのは、クリムの話。
マキアとレイリアと幼馴染のイオルフの少年。
彼は、この物語の中でダークサイドを一手に引き受けているような存在だと思います。
クリムとレイリアは、イオルフの里においてはふわっとした恋人関係だったわけですが、きっとあの頃のクリムは、そんなに激しい恋をしていたわけではないんじゃないかと思うんです。
ずっと続いていくと思っていたからこそのふんわりした優しい愛情だったんじゃないかと思うんですけど、それが突然失われてしまって、目の前からレイリアがいなくなってしまって。
手を伸ばしても届かないところにいってしまって。
レイリアへの想いはどんどん強くなって、愛情は行き過ぎて歪んでしまったのかな、なんて想像するわけです。
失ってしまったからこその、愛情だなぁ、って。
失われたもの、二度と手に入らないものは、とても美しくて、儚くて、尊いものに見える。
愛情は簡単に憎悪に変わる、コインの裏表。
そういうのを表しているのが、クリムの存在なのかな、って思います。
クリムのことを思えばこそ、2回目、3回目に観た時、冒頭のシーンがとても儚くて大切なものに思えて、涙腺が崩壊するんです。
あのときの幸せそうなクリムとレイリアの姿。
その後のふたりの行く末を思うと、悲しみしかないわけだから。
クリムも苦しい。
レイシアも苦しい。
ただ好き合っていたふたりなのに。
悲しい。人生はままならない。
クリムの最期の瞬間、マキアがあの中庭のようなところにやってきて、クリムの瞼を閉じてあげるじゃないですか。
それって、まだ息を引き取ってからまだそんなに時間が経っていない、ってことだから、クリムは朝までひとり、あの場所で、ただ悲しみに打ちのめされていた、ってことなんですよね。
ここでタイトルのことを考えてしまう。
クリムにとっての約束の花は、なんだったのかなぁ。
ついでに声オタ的クリムの話をすると、CVが梶裕貴さんということで、あのクリムの演技はさすがだなぁと思うわけですよね。
あの闇堕ちしていく過程とか、レイリアに拒絶された時の息遣いとか。
憎しみだけじゃない、その中に確かな愛情が存在する、そういう演技ができる役者ってそうそういないと思うんですよねぇ…さすがだった…

 

2回目の時に来場特典でもらったのがスタッフ座談会の小冊子だったんですが、その中で「どの視点で観るかによって見方が変わる」っていう話があって。
なるほどなーって思いました。
毎回ついついマキアの視点に立って観てしまうんですけど、本当はエリアルの視点で観てみたいし、クリムやレイリアの視点でも観てみたい、って思うんです。
スタッフの男性陣はエリアルの視点で観る方が多かったようで、「マキアはひどい女だ!」って言われたって岡田さんが仰ってました。
なるほどなーって。
思春期真っ盛りの男の子が、気になる女の子とずっと一緒にいるのに、女の子にとってはどこまでいっても「子供」で「守らなきゃいけない存在」だっていうのは、なるほど確かにひどいかもしれない、と。
下世話な話、キスの一つでもしてやれよって、確かに思わなくもない。笑。
さすがにもう劇場には行けなさそうなので、BDが出たらいろんな視点で観れたらいいなぁって思ってます。

 

この物語は、全体的に本当に無駄がないなあって思います。
ある種、視聴者に任せてるところがあるってパンフで岡田さんが仰っていて、でもそれは劇場作品としては正解だよな、って思いました。
レイリアのあたりがそうだと書いてあったんですが、確かにレイリアについて多くは語られていないけれど、周辺の情報や描かれる一場面で、レイリアの日々の生活や心情をイメージすることができる。
それはすごく重要なことだなぁと思います。
クリムの人生も、バロウの人生も、与えられた僅かな情報からイメージをふくらませることが十分にできる。
そういう作品の楽しみ方ができるっていうのはいいよなぁ、って。

 

あと最後に、細谷佳正さんについて。推しだからね。
キャラ設定から声の作り方から演技から100%細谷くんで、なんかもう安心しました。
安心感と安定感がすごい。
ああいうキャラやらせるとほんと上手い。
恋が報われない系のキャラやらせるとほんと上手い。
あの、絶妙な“いい人どまり”なとことか。
いや~~~~~~最高でした。うん。最高。

 

まだまだ言いたいことはたくさんあるんですけど、とりあえずここまで!
本当に本当にいい映画です。
まだ観てないならぜひ劇場で観てほしい。
触れていないけれど、美術も最高なんです。本当に綺麗。
音楽も最高なんです。サントラCDヘビロテです。
あれは、劇場の大スクリーンで、劇場の音響で観るからいいっていうところも多分にある。
もちろんBDでもいい作品に変わりはないと思うんですけど。
劇場だからこその良さっていうのは必ずあるので。
まだレイトショーとかならやってるのかな?ぜひ観てください!!

 

 

PS
突然ブログのアクセスが伸びてなんだと思ったら、デジモンtri.が公開されたんですよねそういや!
最終章であるはずの6章はなんと舞台挨拶に行けることになったので、ばっちりスクリーンで観れそうです。
今回のはどうなのかな~~~ちゃんと終わるのかな~~~心配しかない。
ブログもちゃんと書くつもりなので、どうぞお楽しみに。笑。